マハトマ ガンジー
この言葉は、本当に深い言葉です。
ガンジーがこの言葉を発せられた時の、インドの社会的背景と今は全く違いますが… これは、普遍の真理だな…と思います。
今、地球の温暖化、ごみ問題、数々の環境問題が山積みです。 それは、私たちが益や生産性を重視し、この美しい地球を踏みにじる行いにより生じた結果。 そして… 沢山の人たちが声高に叫びます。 「地球を守るために、できるだけの事をしていこう!!」と。 もちろん、そうです。そうせねばなりません。 でも… それは、果たして地球を守るために。。。なのでしょうか。
私たちは、この地球にこの自然に生かされている事を忘れ、そんな言葉を発しますが。
私は思います。 この自分を生かしてくれている地球を踏みにじる行いをすることは そもそもサーマンニャダルマに反するのだという事に気づかねばなりません。 そして、そのサーマンニャダルマに反する行いが、自分に一体何をもたらすかを もう一度、ちゃんと考える必要があると思うのです。
サーマンニャダルマとは。インドの聖典は言います。そしてこれは、真実です。 人間が生まれながらにして持っている、誰からも教わる必要なく持っている、全ての人に普遍的にある 『良い悪い』のセンスです。それは、生まれ落ちたサルが、誰に教わらなくてもお母さんサルさんのお腹にしがみつくというその行為に匹敵する人類共通のセンス。
そのサーマンニャダルマに反して、 人間の食への欲求が、多くの牛を飼うためにアマゾンを破壊し、その多くの牛が咀嚼の為に出すゲップが二酸化炭素を放出する(車を減らすより牛を減らしたほうが二酸化炭素放出は減るそうです)、又、その牛たちを飼うためにアマゾンを破壊する。
いつの間にか、私たちは、そんな事実に目をつぶり、テレビで流れるグルメ番組を見ては、飽くなき食への欲望を育て、大食漢のタレント達の眼を覆いたくなるような 大食いの場面を見て興じる。
マスコミや企業の欲望の渦の中に、巻き込まれてしまう。 みんながそうだから、そもそものサーマンニャダルマに反している事を忘れてしまう。
そして、それは・・・・ ここが、一番大切です。 サーマンニャダルマに反して行いを続ける事こそ、自分自身への自己受容を失う原因。 何故なら、人間はそもそも、知っているのですから。何が善で何が悪なのか。 誰が見ていなくても、誰に知られていなくても 道端でペットボトルをポイ捨てしたら。。 それを・・・・私が私を許せないのです。 私が私自身を許すことができないのです。 その行いで失う自己受容という価値がどれほど、尊いものであり、また逆に、 失えばそれは、どれほど、自分を苦しめるものであるか。。。 すべきことができた時の満足感こそが、この宇宙の秩序・ダルマに添えた時に 人間に起こる至福の状態だと、聖典は言います。そんな至福間の積み上げて生きる事の先に、自己受容や自己尊厳はおこるのだそうです。
だから・・・・ 地球を破壊することをやめるのは、地球のためでなく、私たち全員の自分自身の為なのです。この美しい地球は、何一つ過不足のない、美しい完全なる秩序の中にいます。そして、私達にこれからも沢山の恩恵をもたらしてくれます。
マハトマ・ガンジーのこの言葉は、本当に美しい言葉だと、私は思います。 Ω