毎日がシャンティ・自分と繋がる。。。

「今」を生きる___貴方は貴方のままで良い。ヨーガの原点であるインド🇮🇳のヴェーダ、ヴェーダンタの聖典を学ぶ事で見えてくる宇宙観、世界観。そして「私:という概念。そんなこんなを徒然なるままに。。。

インド雑貨店のおじいちゃんとしたインドよも山話

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買い物途中で、インド雑貨屋のインド人のおじいちゃんとしたインドよも山話                                                                                                       

 

 

インドという国は

何故、西欧諸国からあんなにも遅れをとってしまったのか。

カーストという制度は、ホントに悪なのか。

もし仮にカースト制度が悪なら、何故その国で、アヒムサ(自分と他者を傷つけない)を基盤とするベジタリアンを実行する人達が沢山居るのか。  

 

                                                                                                                                            ベジタリアンは、アヒムサ                     

「自分自身を、「相手を(たとえ、それが蟻であっても)決して、傷つけない」という徹底したポリシーの暗黙の宣言と実行。健康の為に行っているベジタリアンと。インドのベジタリアンは、完全に一線を画している。

 

 

                                                                                                         元々貿易関係の仕事をしていたそのおじいちゃんは、日本在住38年。

ママもまた、生粋のインド人。 彼女は、生まれてからこのかた、朝夕のプージャ(祈りの儀式)をかかさない女性。

そして、現在37歳の息子さん、34歳の娘さんを日本で育てる間は、キッチンで、お肉やお魚も扱ったが、自分は、一切口にしなかったそうな。

今はもう、子供さん達は独立。 おじいちゃんは、身体のためにタンパク質を必要とするけれど。お店に出てるお昼に、ランチのおかずにお魚だけを一人で頂き、 家ではママと一緒にベジタリアンな生活だという。

今朝も、ママは、卵料理(彼女はベジなので、卵も一切口にはしない)とブロッコリーとパンと、温かいチャイを用意してくれたと。 とても嬉しそう!!なんて、愛に溢れてるんだろう。

 

 

 

ママは、腰痛もちで出歩けないが、インド料理がピカイチ!!との事。

インド料理の話で盛り上がり、話は、インド家庭料理教室の話へ。

実は、私は、兼ねてからインドの家庭料理を習いたくて、教室を探していた。 でも、ピンとくる教室はなく、頓挫していたところへ、降ってわいたお話。

飛びつくっきゃない!!!

おじいちゃん曰く、彼女は腰痛でなかなか外出もままならないので、人との出会いも少ない毎日。 お料理教室とかなら、彼女の為にとっても良いのではないかと。。。 なんて優しい奥様思いのおじいちゃんなの・・・。

 

 

まずは、奥様の意思を尊重。「聞いてみるわ~~」と、連絡先を交換した。

 

 

そして、インドのママ達は、とても早起き。

まずは、祭壇に火を灯し、門の前には、お米の粉で、コーラムという絵を描く…

何故なら、そこは、神様の通り道だから。 そして、サリーを纏い、ピアスをして、香を身にまとい、祭壇で祈りをする。 美しいサリーも、身にまとう香も、お化粧ですら、 身体という自分自身の祭壇への捧げ物であり、神に祈る為の身繕いである。

そして、そのお米の粉は、蟻さん達の食べ物となる。

 

そして、これは、毎日繰り返される朝の日課である。 あのサリーを着たままでは、およそ、お昼寝もできなさそうである。 日本人で言うなら、晴れ着とはいかないまでも、ウールの着物を毎日着てる感じの窮屈さだろう。きっと。

 

 

すごいよ。インドの女性は。

 

 

そして。インドの悲惨な歴史の話へ。

17世紀。東インド会社による完全な支配からイギリス植民地へ。

Vedaの文化の中で、神を信じ、アヒムサを実行する人々をいとも簡単に騙し、 その進んだインドの文化ごと根こそぎ潰し、利益だけを吸い上げてしまった西欧の国々。

そこには、実は、インドを中枢で支えていた3500年の歴史を持つカースト制度があった。 しっかりとしたVedaの宗教観に基づき、差別などとは程遠いその文化を中枢で支えていたカースト制度を彼らが悪として、それをその国を潰しても良い大義名分に、 何千年も続いたVedaの宗教観ごと、インドに住む人々を改宗させていったという悲惨な話である。 経済的な損失のみならず、土着の宗教にまで、その手は及んだ。

 

現在のマスコミによる情報操作に似たような現象は、この時代から既にあったのだろう。 大航海時代から東インド会社設立、イギリスの植民地支配という流れの中で 西欧諸国の発展の流れから、完全に遅れを取ってしまった。

 

 

上半身裸で、ドーティ(男性が身に着ける腰巻、しかし、それがインドでは正装である。)を身に纏ったそこらのおじいちゃんに

「神さまはどこに居るの?」 と、聞いたら…

「神でないものが、どこにあるのかね…」

        と、不思議そうな顔で、返事が返ってくる。これが、彼らの日常。

 

そうだよね。その通り。どれ程文明が進んだって、スミレの花一輪、人間は一から作れないもの。

 

Vedaの文化とは、そう言う文化なのである。

 

どれ程、インフラが整っておらず

どれ程、土埃りでまみれていても

シャワーが、途中でお湯から水になっても

 

 

人類の普遍の宝物が、その国インドでは、生き生きと人々の中に根付き、その普遍の知識は、その価値を知る人々によって、 間違いなく脈々と先生から弟子へ、またその弟子へと、伝えられている。

なんてたって、全ての宗教は、この国の聖典の教えが基盤となっているのだから。その素晴らしさ、言わずもがなである。

 

 

でも おじいちゃんは言ってたよ。 日本人は、9割がGood Person。色んなレベルのグラデーションはあるけどね。

 

 

インド人は 両極端。 Good Person か Bad Person どちらか。Bad Personにも色んなレベルがあり、それはグラデーション。

 

でも・・・(ここからが味噌。)Good Personは、ベストな意味でgoodなのだと。 なるほどな。。。と思った。つまり、Best Person.。

 

 

アヒムサの価値を知り、それを実行するとは、そういう事なのだなと。

 

 

それでも。。。ベジタリアンであっても尚、人間は、植物を犠牲にして、それを食して、生きていかねばならない。そう。完全なアヒムサは実行できないのが人間。

しかも、自分が気付かない間に、人を傷つけている事なんて、いっぱいある。

でも、それでも。人や動物やモノを精一杯傷つけずに生きていきたい、というのが

インド、ベジタリアンの根幹なのだ。

 

 

 

これこそが、このインドというの国のDinamicな文化なのだなと。。。