毎日がシャンティ・自分と繋がる。。。

「今」を生きる___貴方は貴方のままで良い。ヨーガの原点であるインド🇮🇳のヴェーダ、ヴェーダンタの聖典を学ぶ事で見えてくる宇宙観、世界観。そして「私:という概念。そんなこんなを徒然なるままに。。。

7月の満月 グルプールニマ

7月の満月は…

私達、ヴェーダーンタを学ぶ生徒にとっては、特別な日。

この深淵な知識体を、間違いなく、今のこの時代にまで残してくれた先生方に、感謝を捧げる日。  🌸グルプールニマ🌸

 

 

 

祈りを・・・・

マントラを・・・     

捧げて過ごす・・・

 

 

 

時間と空間さえ存在しない満ち満ちたこの宇宙の存在・意識・ブラフマンが質と名前を装い、自らを材料に、自らを顕したという、様々な法則に則ったこの私達の住む世界。それは、言葉として顕れ、その言葉は後にサンスクリット語という言葉として、インドのヴェーダヴェーダーンタ聖典として残された。

 

 

 

その言葉は、インドの聖者、王家、の中で脈々と、その意味を取り違えられる事無く、丁寧に保存され、今に至る。中には、哲学者などにより、自身の考えを含むことで、ドンドンと違う解釈になっていったものも沢山、あるにはあるが。だが、しかし、その中核では、一切、人の意見を含まず、忠実に先生から弟子へ、脈々と受け継がれている。

 

 

 

つまりそこには、確立された教えの方法論が根付いていて、伝統的なその教えの方法の中で、間違いなく後世に引き継がれている。

 

 

そのテーマは   

「Who am   Ⅰ?  私とは何か。」という壮大なテーマ。

 

 

人間の普遍の真実。

一般にヒンズー教とは、他国の人がそう名前を付けているが、インドでは、こう、呼ばれている。

 

 

 

     それは、サナータナダルマ。人間の普遍の真理。

 

 

 

これは・・・・   ヒエラルキーの元に、誰かが説いた信じる話題ではない・・・・そう、宗教とは違う・・・・信じる話題ではない。

 

 

 

自身の歩んできた人生や生活とすり合わせながら、その真偽のほどを確かめていく。ロジカルな教えをロジカルに自分の言葉にしながら、理解に・・・腑に・・・落としていく。

 

 

 

人間の根底にある自己否定が、一体どこからくるものなのか。

私達は本当に「ちっぽけで取るに足りない存在」なのか。

この私個人の限られた考えや身体が、本当に私なのか。

この宇宙の成り立ち。 そこから見えてくる  私達、人間の真実。

 

 

 

「探求」という言葉は・・・  そもそも、この知識を探求する時に使われる言葉であり、価値ある「探求」とは、この知識を知るための言葉だと。。。。聖典は言う。

 

 

 

そこから、浮き上がるのは・・・そもそも・・・

    「救われる必要のない  愛、そのものの私」

 

 

 

 

7月の満月。  

ヨーガの根底にある知識体ヴェーダヴェーダーンタを表した聖者ビャーサを讃える日。 そして、グル(無知を追い払う ✨師✨)に祈りと感謝を捧げる日。

 

 

 

 個人の私が   実は

  そもそも、全体として満ち満ちている私である                           

 

 

 

 

 

その聖典の言葉を・・・  今は、まだ腑に落とせず、理解できなくとも        その間違いのない真実の言葉、「聖典」に出会えた事。   それを根気よく、私達に教えてくださるグルに出会えた事。

 

 

 

        感謝の中で祈る 

        ダルマと共に

    f:id:shantiyogalife:20210723154236j:plain愛、そのものの私として振舞いながら・・・