自己尊厳の崩壊 息子よ。。。
それは、ある夏の暑い日に、突然起こった。。。
2歳過ぎになる息子に、その繋いだ手を通して、母が無力以外の何者でもない事を知らしめてしまう。
私にとって、初めての衝撃的な、。。パートナーから受けた自己崩壊に匹敵する言葉と態度。。。私自身が一番価値をおき、邁進している事への痛烈な批判の言葉と態度。
長い坂を、幼子の手を引きながら、ここで、この息子の前で泣いてはならない。どれほど肩を落としていようが、そこまでで止めなくてはならない。。と思いながらも、自然とハラハラと頬を伝わる涙。。
決定的な母の悲しみを、偶然にも息子に見せてしまったその後悔は、私の中にずーっと澱の様に沈殿し続けた。何か、とんでもないことを犯した罪の意識。
それは、その瞬間
まさに。。
「大好きなお母さんが、目の前で泣いているのに、僕は、お母さんをを救う事すらできない」
という、人生初の最大の自己否定感を持たせてしまった体験。
彼の一生を左右するCore personを作ってしまった体験。
そういう事が、起こっていたのだ。何も知らずに、只々、扱いきれずに蓋をしたくても、できずに。。。。
自身を責め続けた。。。。。。四半世紀。。。
息子よ。。。その後もずーっと、優しい言葉で私を支え続けてくれた息子よ。。。
今は、もう大人になり、自身の中のそのインナーチャイルドを、よしよしと、うまく扱える大人になっているだろうか。
あの時の 暑さ。。。
私の深い悲しみとは裏腹の山の緑の美しさ
登っても登っても辿り着かない長い坂
人間の根底にある自己否定がどこから来ているのかという話を聞いた時に。。。、何故、あの時あれ程までに、息子に対して申し訳なさを感じたのか。。その理由が、四半世紀以上を経て、自分の中で明らかにされた。
それでも。。。
このblogの立ち上げも、後押ししてくれた息子に、今、こうして、伝えられる事で、私の肩の荷が降りた気がする。
きっと、この向こうで、深い悲しみと共に苦笑いしているであろう息子に。。。
ごめんね。でも、それも仕方なかったの。
母も、とても、未熟でガラスの少女だったし。。。そして、それは、あなただけに特別に起こる事ではなく、形を変え状況を変えて誰にでも起こる、普遍の法則の中にある宇宙の秩序が顕れた姿だったの。。。