「今」
生きていると色んな事が起こります。
それでも、人は明日の為に、懸命に今を生きます。
そして一方で
過去の経験に学べない人達が
起こそうとしている戦争があります。
今を生きるとは…
今、自分に与えられたすべき事を、的確に捉えて役割に気付く事。すべき義務を果たす事。
義務を果たせば、権利を主張するまでもなく、相手の権利は守られます。自分が他者からされたくない事に焦点を当てるだけで、すべきでない事は明確。
そんな単純な事を無視して、自己の利益に走り、他者を傷つける。
私達は、教育を受けずとも、すべき事とすべきでない事、その道理を、あまねく全ての人が知っています。
でも、自分を守りたい一心で、相手を傷つける選択をしてしまい…自分を守りたい一心で、他者から奪う為の策を練り続ける。
実は、その・・・
自分を守らねば!
奪われない様に!
他者から奪わねば!
という違和感こそが、自分自身を知らない事から起こっているのだとは、誰も気付けない。隣の家の夫婦喧嘩から、国と国との戦争までが、全てこの違和感をベースに起こっている。
「ちっぽけな取るに足りない私」が、私の本質なら、それは、at homeであり、寛げるはずであり、違和感など起こらないはず。
いつも、常に行いを使いながら、外側に楽しみや生きがいを求め続けているのは、まさにその違和感が成せる技。
でも、もっと言うなら・・・
この顕れた世界で「今」などない。
私の「今」のマイブームは、アーサナヨーガをすること!
一か月や二か月が「今」!?
私は「今」逆立ちをしている。
5分くらいが「今」!?
その「今」は、数字の上でどこまでも永遠に分割可能であり、そこには、過去も未来も含まれる。
そう・・・つまり「今」などないのだ。
何が「今」かと問うのなら。
その時間を支えている、つまり・・・
時間と空間を支えている、それらを超えたものこそが「今」
そして、「私」とは、本当は…
時間と空間を超えた、それを支えている完璧な愛の人。
どうか…道理をわきまえた指導者たちがこの世界を導き、人々の平和な生活が
戻ります様に
そして、私にできる行いは、祈り
そして、そして…
どうか… 沢山の祈りを
何故なら
祈り・・・
それは、現実を変える力を持っているから。