幸せを感じる瞬間
私が幸せを感じる瞬間
例えば。。。。 見上げた青空が白い雲とのコントラストで何とも美しい時
例えば。。。。 緑が芽吹いた春の山の姿
例えば。。。。、 空に浮かんだ月の美しさ
それは、顕れたこの世界の。。。地球の🌏。。。美しさ。。。。
その世界観の中に居る時、文句なしに、生かされている事への感謝の気持ちが溢れる。
では。。
自分自身に対してはどうなのだろう。
それは。。。
自分自身へのjudgeが外れる瞬間。自分が自分で居て、幸せな瞬間である。
自分の持っている力で、その人にとって役立つ事を、提供できた時。その瞬間はやってくる。
例えば、美味しいお料理を作って、誰かの喜ぶ顔が見れたり。
アーサナヨーガを通して、目の前の人が、終わった後に、「あー楽になった。。。」と、言ってくれたり。
誰かの、何かのお役に立てた時、私は、私自身へのjudgeが外れて、シンプルに幸せを感じる。、
そもそも
人は、根底に、自分自身への不満足があるので、行いを付け足すことにより、満足感を得ようとすると聖典は言う。
でも。。
殆どの行いでは、到底満足は得られない。何故なら、何人も同じ様に、考えて行いをするのだから、そこから、
生まれるのは、果てしない人との比較の中の、鬩ぎ合い。
昨今のSNSは、それぞれの行いが透けて見える事で、それに拍車をかける。
落ち着いて自分自身を見つめた時に、見えてくる自分にとって、価値ある行い。
それは、多分「与える」と言う行為。
「与える」という言葉だけを取り上げると、なんとも横柄な感じだが。。。もっと言うと、「捧げる」と言う思いからの行い。
それは、お金でもいいと思う。いや、逆に、大切なお金を人の為に差し出せるのはとても尊い行為。
私の持っている、力や才能。 特別なものでなくても良い 差し出せる余力のある力や才能を、誰かの為に役立てれたら。。。
見えない力への深い感謝の祈りと共に、地下深くから湧き上がってくるその力は、どんなに分け与えても、増える事はあっても目減りする事などないと、聖典は教えている。
多分、今の私には、
この美しい地球🌏と共に生きている実感
と等しいくらいの
大きな喜び
私へのjudgeが外れて、私が私で居て、何より幸せな瞬間。
私と。。。。この地球や宇宙とのハーモニーが生まれる瞬間。気付いたからには、大切に積み重ねていこう。。。