究極の自己愛 私が息子を愛する理由
私が息子を愛する理由
そんなの当たり前。。母親が子供を愛するのは。
そう、当たり前なんです。
でも。。
その子供への愛情ですら、そもそもは、自分への愛情だと。。
インド🇮🇳の聖典は言うのです。他者を鏡にして、自身へ愛を向けているのだと。
異性への愛、子供への愛、沢山の他者への愛を通して、自分が「愛」そのものである事を学んでいく。。他者への「愛」は、自分を知る為のレッスンなのだそうです。私は、息子達の為に何か祈る時、「1日でも長く、私より生きて、その生を全うします様に」と祈ります。
多分、それだけは耐えられないのです。私が彼らを見送る事だけは。。そう、自分の中にある痛みに耐えられないのです。
聖典は言います。私達は、自由意志を使って、行いを選べるけれど。。返ってくる結果は、私達の手の内にはないと。
その聖典を学んでいる私は。。
自身に起こる事は全て、自分にベストなものであると、頭で理解できていても。。。それだけは。。。息子達を失うことだけは、自己を失うに等しいのだと思います。
子供への愛情は、究極の自己愛だということでしょか。
ですが。。その愛情こそが命を育む為に必要なのだそうです。母親としての女性性こそ、最も大切にされるべきものなのだそうです。そう言った意味で、女性を大切にする国は繁栄すると、聖典は言います。考えてみれば、当然ですね。社会の最小単位の家庭が、確かな人材を育てるのですから。
この宇宙、地球には、秩序、法則があります。
-地球が自転しながら、
太陽の周りを回ったり
それが、人間の生きる環境を育みます。
-りんごが木から落ちたり
だから、私達は立っていられます。
-降った雨が川から海へ。
そして海から空へ。
そこから、雨として川に戻るこの見事な循環
完璧で見事な秩序、法則の元に巡っています。
それと同様に、そのレベルでの心理の秩序、法則もあります。
この宇宙は、時計を🕰ぜーんぶバラッバラにして、25mプールに放り込み、水流だけで、組み上げる。。それに匹敵する様な奇跡の中で回っていると言います。そこには、超知的な作者が居るのです。
私達は、その中に生かされています。
だから。
今日も祈ります。
与えられたもの全てが、賜りものだと思えます様にと。。。そして、自分自身が「愛」そのものであると、学び切れます様にと。
全てに、行き渡った秩序に「ナマハ」