言霊
言霊
1回目のワクチンを打った。
アナフィラキシーを3回も経験しているので…躊躇していたが。
60歳を過ぎているし、持病もあるし…
そして…こんな時代に生きて、こんなpandemicを経験しているのも、何かの縁だろうか…と。最後は、流れの中に身を委ねた。
賛否はあろうが。私は、それを選んだ。
その帰りに。
接種会場の自転車の整理をされている方から
「気をつけて、お帰り下さ〜い」
と声をかけられた。
思わず、振り向いた…
え!?私じゃなくそちらこそ。。。
この、炎天下で自転車の整理。
熱中症は他人事じゃない。
でも、その時、ハッと気付いた。
言葉の中にある言霊。
その何気ない言葉の中にこそ、祈りがあるのだと…
確かに… 子供がまだ幼かったころ。
「気をつけてね。行ってらっしゃい‼️」
その言葉の中に、強い祈りを込めて、毎日、見送っていた。「ただいま〜」と言う元気な声に、毎日、祈りの価値を見ていた気がする。
いつ頃からか
言葉は形骸化し、それは単純なやり取りになっていたかもしれない。
でも
言葉を発する、私の中に、祈りがなくても。言葉そのものに、強い祈りがある事を、今日、何か、思い知らされた気がした。
瞬間に、私の中の祈りが。。。汲み上がった。
「私よりも、あなたの方こそ、気をつけて下さい🙏」と…
強い祈りをこめて
「おじさんこそ、暑いんだから
気をつけてね〜」
忘れていた、何か、大切な事を思い出した気がした。
そう。
この宇宙は、 言葉と共に生まれた
それは
イーシュワラのサッティヤサンカルパと共に
つまり 神の意思と共に
そこから、質を伴いこの世界に現れた私達は
それは、全て個である私達の自由意志に任せられ。。。
個人のエゴを通して、私を表現するので、神の意思からは離れていくが。。。それですら、それは、神の法則か中にある。
「ことば」は、神と共に顕れた。
そう、「ことば」について、学んだ時 何気なく見落としていた事。 「祈り」の大切さとは そもそも「ことば」の大切さ それと同義だった。 その事をはっきりと自覚した瞬間だった。